備忘録みたいなもの。 すきな本と映画、テレビ、音楽、勉強について。 Apple Mac 他のパソコンについて。 図書館、美術館について。 建築について。
1980松田聖子病持続中
そして感心は、松任谷正隆、さらに、松本隆へと拡散している。
カルロス・クライバーを聴きにカナリア諸島へ。
クプファーの演出を見にベルリンへ。
文化的な嗜好に重なるところがある。
とても追随できないが、グーグル替わりに情報収集してくれていると考えればいいか。
それにしても、松田聖子に対する評価は、すさまじく高い。
「心象風景まで歌える」「詞の行間まで歌ってしまう」「並の歌手では出来ない語尾の処理」(P27)とこれ以上ないもの。
これほどの作詞家で、作者本人が書くのだから、間違いないのだろう。
ただ、赤いスイートピーの「タバコの匂いのシャツに そっと寄りそうから」は、紫煙嫌悪がいや増している私には、許容できないところだが。
全国は緊急モードです。バブル崩壊から100年は経っていませんが、100年に一度の危機と言われています。ということは、バブル崩壊よりひどいということ。ただ、こういう問題は多分に気分に左右されることです。トヨタの減産をあんまり大きくいうなという上の言葉には首肯できるところ大。
日々自分のできることをする。これしかありません。
というわけで、最近は80年代松田聖子ブームです。厳密に言うと、83年までですが。
松田聖子といえば私は左の方の鎖骨の骨折を思い出します。
彼女は1980年4月1日デビューしています。私は高校2年生になりました(すごくいろいろ計算してどうやらそうです。)。まあその時点では知らないわけです。なんといっても世間の耳目を集めるのは「青い珊瑚礁」以降ですからね。
しかし、私は「青い珊瑚礁」も当時実はあまり認識していないのです。唄はそりゃあ何回も耳にしましたし、テレピでも見ましたけど(多分NHKのレッツゴーヤングでも彼女を見ていたはず)、鮮烈にイメージがあるのは、平日の冬の日の昼のテレビで新曲ですの紹介とともに始まった「チェリーブラッサム」の歌唱とそれを見ている鎖骨を骨折した自分なんです。
この時彼女は赤いブレザーに青か緑のチェックのスカートでした(と思う。)。なにかプレップ・スクールの生徒さんという感じ。実際は大学生の年齢だったみたいですけどね。
純粋な歌番組というわけではなく、多分歌ったのは彼女だけ。コーナーとコーナーの間を埋める時間という感じでしょうか。
インタビュー番組だったかも。だから、明らかに普段着っぽい衣装にして、舞台っぽい衣装にしなかったのでしょう。
その前の「風は秋色」も悪くない、というか、とてもいいし、曲として「チェリーブラッサム」がそれまでの3曲と比べて抜きんでて好きというわけではありません。
しかし、その映像の彼女は、妙にattractiveでした。それとともに、平常心ではないざわめきを引き起こす存在になったことを私は意識下に隠蔽したのです。
これまでも、大学時代に友人AくんからLPやシングルを録音したテープをもらったり、自分でも買ったりしましたし、数年前には、iPodを購入した時に、まず、図書館で借りたCDに彼女のものが含まれていたりと、歌姫としての彼女は間欠的に意識の表層に現れることがありました。
しかし、今回のブームはもっと全体的なものとなっています。
きっかけは、YouTubeでの当時の映像です。そしてそれをiPodで見ることのできるITの福音。
そこからの怒濤のおとな買いが上の写真です。
映像については、コンサート映像はダメなんですよね。当時のテレビの映像が本物なんです。特に、夜のヒットスタジオやザ・ベストテン。本当に贅沢な時代でした。彼女の最も輝いていた時をその輝きを感受できる年代で、同時代体験できたこと。今考えるとなんという至福でしょう。
ただ当時はそのことに気づいていなかった。同じ思いを抱くとても多くの人が、YouTubeやmixiで慚愧にたえないと心情を吐露しています。もっともっと見ていればよかったと。まったく同感です。