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2009年12月26日土曜日

狭い日本は日本人を養えた


"日本国の原則―自由と民主主義を問い直す" (原田 泰)

「すぐさま戦線を縮小して食糧生産を行うのが、日本の消費水準を維持する、すなわち日本の人口を養う道だった。」

「戦争経済体制は、戦争のためと考えても全く機能していなかった。」

「井上の緊縮政策は、全くナンセンスだった」

「資本主義のルールを壊した人間がもう一人いる。後に首相となる近衛文麿」

「世界大恐慌の一環としての日本の昭和恐慌は軽微に終わっていた。」

「1933年が、そのまま延長されても、現在の日本と、それほど変わらない日本になっていたのではないか。戦争をしなければならない危機的状況などはなかった。」

「危機があったとしたらそれは軍人の危機だった。知恵と技能における熟練労働者とおばさんの権威が高まり、軍人の権威が低下することへの反動が軍国主義の運動だったのではないだろうか。」

「井上準之助の清算主義が資本主義のもたらす創造の富への期待を打ち砕いたことと、近衛文麿の「英米本位の平和主義を排す」の主張から、日本の太平洋戦争への道が始まった。」



美しい都市と美しい消費財