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2008年12月31日水曜日

コンタクトレンズ

近視と乱視、昨年の約半年ほどのオルソケラトロジー挑戦。その発端と終息については、既に書きましたが、その後の顛末と現状をまとめますと・・・。

結局とても裸眼生活ができるほどの回復はみられず、しかも今年の1月に受信した人間ドックの眼底検査で「眼科疾患の疑いがあります。」と出る始末。

右目の所見 視神経乳頭異常

左目の所見 視神経乳頭異常 網膜神経線維束欠損

とのこと。こんなの初めて。

あわてて、人間ドックの結果を精密検査してくれる眼科へ。

説明では、こういう所見が出たら緑内障の疑いがあるので診察を受けてくださいということらしい。

視野検査の結果今のところは大丈夫とのこと。ただし、40歳過ぎた年齢からも、いつ緑内障が発症するかわからないので、半年に一度ぐらいは視野検査を受けてと言われてしまった。

果たして、年齢の問題なのか、オルソが原因なのか、よくわからない。

ただ、オルソ治療をやめてある程度時間がたてば目の状態は元に戻るという話であったのに、以前使っていた眼鏡は依然としてぴったりしない。また、乱視がひどくなったような感覚は残ったまま。

結局新しく眼鏡を作った。

しかし、どうも違和感が残り、結局普通のコンタクトレンズも使ってみることに。

コンタクトレンズは10年ぐらい前まで使っていました。最初はソフト、途中からハード。いずれも1枚が高価なもので、長い期間大切に使うものでした。なくしたら大変というプレッシャーにさらされるものでした。

調べてみると、今はいろいろなメニューがありますね。圧倒的だったメニコンの存在感がとても希薄。使い捨てコンタクトの登場が業界の勢力図を塗り替えていたのです。

確かに気軽に使えます。期間で計算すると結構な金額となるものの、一日あたりでは200円から300円で毎日新しいものが使える。

コーヒー一杯ですね。

2008年ふりかえり

今年の読書を振り返ってみようと思います。

一躍興味の中心になったものに、勝間和代の名前があります。もともとは、個人的な公認会計士ブームの名残で名前がレーダーに入って来たのですが、あれよあれよの間にベストセラーを連発、時代の寵児に。ビジネス系の雑誌での注目度、露出はすさまじく、テレビでみかけることも増えました。

須藤実和の方を先に注目していましたが(ビジュアル的には遥かにすてき。勝間和代自身「読書進化論」211ページで「須藤さん、美人ですよね」と発言している。)、母は強しです。

ちゃんとマーケティングをして売ろうとして売っている。すばらしい。しかも、Chabo!という印税寄付プログラムの展開を始め、この人は本気なんだと感心しています。いやぁ、年下なんですよね、ちょうど私が大学を卒業した年に、大学生になったぐらいか。

うーむ。大学まではそれほど遜色ないみちのりだったような気がするんだけど、長期戦略、やる気の違いが月ロケットとうちあげ花火の軌道ほどの差となっていますね。子供も大きいし。

彼女の本は、内容が分かりやすく、読みやすく、よくできています。値段もお手頃。しかも、前向きパワーに満ちています。

手帳まで買ってしまった。

"勝間和代手帳2009 (紺)" (勝間 和代)

中高校時代は、三島由紀夫や大江健三郎、倉橋由美子、高橋和己など読んでいてはいけません。勝間和代を読みましょう。学校の推薦図書に加えて読書感想文を生徒に書いてもらうようにすべきです。文芸書より自己啓蒙書。そして社会人が手に取るより、学校に通っている人が読んだ方がよいし、読んだ人にも社会にもリフレクションが期待できるのでは。

前向きパワーとといえば、本ではないが、プログで塩澤教授とゆっきぃさん。今や私のMacねた情報収集の中心。その影響でカメラねたが私の中で来年盛り上がるかも。

続いてなぜか経済学者の自伝的な書き物を連続して読みました。

あと経済学者ではありせんが、


これを読みかかっています。偶然にもオーストリア・ハンガリー帝国がらみが続いています。

2008年12月30日火曜日

ファンがブンブン

いつからか、Macを起動してしばらくすると、ファンがブンブンうなり、アプリの反応が極端に遅くなるというという事象が恒常的になっていました。

マウスをクリックしても、キーを叩いてもまったくといっていいほど反応しません。

ぜったいにその時に限定されるというわけではないものの、だいたい、SafariとiTunesを同時に動かしている時になることが多い。特に、iPhoneやiPodを同期し始めると顕著。

ディスクのアクセス権に問題があるのかなと、こまめにディスクユーティリティでアクセス権の修復をするも、確かに修復されるデータがあり、実行すると効果があるような様子も見られるものの、決定的ではありませんでした。

「いっそ買い替えますか。」とまで、肝心なところで(たとえば、家族に何か作業を申し付けられたり、お出かけのためにシャットダウンしなければいけない時)、うんともすんとも動かなくなるとういうことが重なるにつれて、追いつめられる私。

年末年始の休みに入り、どうにも気になるようになり、いろいろ検索したところ、アクティビティモニタの存在を目にしました。ああ、すっかり忘れていました。まず、原因になっているプロセスの究明が先じゃん。

そこでアクティビティモニタを起動し、その時を待ちました。きたきたこのもっさり感。すかさずアクティビティモニタでチェック。すると、mixi station がただならぬ数値を叩き出していました。こいつが原因だったんだ。そのプロセスを選択して終了すると、このようにすらすら動きます。

なんて簡単な。ごめんねSafari、iTunes。疑ったりして。

2008年12月27日土曜日

前回の続き

前回「夜更かしはやめましょう」という題でしたのに、松田聖子の話ばかりでどういう関係があったのか不明でしたが、単に書き忘れです。

結局YouTubeで彼女の映像を探しまわって、あっという間に午前3時なんてことがあるからです。

翌日が休みだと油断してしまいます。

日頃読書の時間がとれないとぶーぶー言っているわりには、結構同じ映像をくりくり見ています。

そうしたなかで、夜のヒットスタジオのOPシーンの映像で、

「もうすぐ25歳。今のままでずっといてほしい郷ひろみさんです。」

とマイクを郷ひろみに渡すシーンを先日見ました。

「風は秋色」の衣装ですから、昭和55年の秋ですか、彼女は18歳ですね。仕草が感動ものです。

ということで、クリスマスに遊びに来た妹とその3人の娘たち(高2、中2、小5)に映像をみせたところ、哲学的な話に行く前に、オタク的な扱いで一刀両断されてしまいました。

オタクにも非常に深い含意があるのですが、そういう文化論的な話にはならないのは、そういう場の運命です。

(松本隆や松任谷正隆をうまく絡ませればよかったかも。)

ちなみに、松任谷正隆って人についてはこれを読んで開眼しました。


2008年12月21日日曜日

夜更かしはやめましょう。

振り返るとYouTubeだけが要因ではない松田聖子ブーム。

この本を読んだことがそもそものきっかけであったことに思い至りました。


著者はクラシックにも造詣があり、フルトヴェングラーやカラヤンを扱った新書も出しています。

この本、題は2人を併記していますが、メインは松田聖子です。

この扱いには納得いかない人もいるかもしれません。

しかし、高度情報化社会との親和性では、やはり松田聖子に軍配があがるのでは。

なんといっても彼女には実体がないのだから。

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それにしてもすごい精神力です。根性というのではなく、あえて近しいとすれば、それこそ、企業家精神といってもいいかも。

絶えず未来に向けて投機していく姿勢。投機ではなく、投資か。

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ほとんど押しかけ的にサンミュージックに転がり込むそのプレゼン力。無謀力。

スティーブ・ジョブズがNeXTをアメリオに売り込んだことすら色あせるほどでは。

ある意味、サルトルのアンガージュマンを体現している。

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ちょうど同じ時期に私は閉塞感に拘泥していました。

彼女は1962年3月生まれなので2つ年配になるわけですが、時代背景は同じな訳です。

アップルの設立は1976年4月、Macは1984年1月の発売です。

彼女のデビューは1980年4月。

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あのころ全ては膠のように固まって何もかえられない、かわらないという諦観が 支配的だと思っていたのですが。

勝手に思っていたのですね。今では活力ある時代と振り返る人が大半では。

すさまじい変化はそのあとにやってきました。そしていままた時代が胎動しています。

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まあ、そういうことです。

りぶらな日

りぶらはただの図書館ではありません。それは前にも書きました。

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今もいろいろな催し物が行われています。

2008年12月20日土曜日

最近のはやり

全国は緊急モードです。バブル崩壊から100年は経っていませんが、100年に一度の危機と言われています。ということは、バブル崩壊よりひどいということ。ただ、こういう問題は多分に気分に左右されることです。トヨタの減産をあんまり大きくいうなという上の言葉には首肯できるところ大。

日々自分のできることをする。これしかありません。

というわけで、最近は80年代松田聖子ブームです。厳密に言うと、83年までですが。

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松田聖子といえば私は左の方の鎖骨の骨折を思い出します。

彼女は1980年4月1日デビューしています。私は高校2年生になりました(すごくいろいろ計算してどうやらそうです。)。まあその時点では知らないわけです。なんといっても世間の耳目を集めるのは「青い珊瑚礁」以降ですからね。

しかし、私は「青い珊瑚礁」も当時実はあまり認識していないのです。唄はそりゃあ何回も耳にしましたし、テレピでも見ましたけど(多分NHKのレッツゴーヤングでも彼女を見ていたはず)、鮮烈にイメージがあるのは、平日の冬の日の昼のテレビで新曲ですの紹介とともに始まった「チェリーブラッサム」の歌唱とそれを見ている鎖骨を骨折した自分なんです。

この時彼女は赤いブレザーに青か緑のチェックのスカートでした(と思う。)。なにかプレップ・スクールの生徒さんという感じ。実際は大学生の年齢だったみたいですけどね。

純粋な歌番組というわけではなく、多分歌ったのは彼女だけ。コーナーとコーナーの間を埋める時間という感じでしょうか。

インタビュー番組だったかも。だから、明らかに普段着っぽい衣装にして、舞台っぽい衣装にしなかったのでしょう。

その前の「風は秋色」も悪くない、というか、とてもいいし、曲として「チェリーブラッサム」がそれまでの3曲と比べて抜きんでて好きというわけではありません。

しかし、その映像の彼女は、妙にattractiveでした。それとともに、平常心ではないざわめきを引き起こす存在になったことを私は意識下に隠蔽したのです。

これまでも、大学時代に友人AくんからLPやシングルを録音したテープをもらったり、自分でも買ったりしましたし、数年前には、iPodを購入した時に、まず、図書館で借りたCDに彼女のものが含まれていたりと、歌姫としての彼女は間欠的に意識の表層に現れることがありました。

しかし、今回のブームはもっと全体的なものとなっています。

きっかけは、YouTubeでの当時の映像です。そしてそれをiPodで見ることのできるITの福音。

そこからの怒濤のおとな買いが上の写真です。

映像については、コンサート映像はダメなんですよね。当時のテレビの映像が本物なんです。特に、夜のヒットスタジオやザ・ベストテン。本当に贅沢な時代でした。彼女の最も輝いていた時をその輝きを感受できる年代で、同時代体験できたこと。今考えるとなんという至福でしょう。

ただ当時はそのことに気づいていなかった。同じ思いを抱くとても多くの人が、YouTubeやmixiで慚愧にたえないと心情を吐露しています。もっともっと見ていればよかったと。まったく同感です。